Strawberry Brut.

Strawberry
Brut








絆の海。

それが、今からGM号がさしかかろうとしている海域の名であった。
ログポースをその華奢な手首に巻きつけたナミが、そう宣言したのは昨日のこと。
その後を継ぐように、ロビンがその海にまつわる伝説をクルーに話してくれた。

「その名の通りよ。そこを訪れる者たちの絆を試す海なんですって」

丁寧に淹れられた紅茶のカップに唇を付けながら、黒髪の美女は面白そうにそう言った。
居並ぶクルーを眺め、ふふふ、と微笑む。

「別にそんなに怖いものではないわ。御眼鏡に適わなければ通しては貰えないだけよ。船を沈没させるとか、命を奪うとかいう話は伝えられてない」
「それでも充分問題じゃない!ここを通らなくちゃ先に進めないんだから」

ロビンの隣の席に座っていたナミが、ぶつぶつと呟く。
キッチンの床に座ってなにやら細かい作業をしていたウソップが、顔を上げる。

「具体的に、どういう風に絆を試されるんだ?」

少しばかりビクついているのか、不安げな表情だ。その横のチョッパーも。
ロビンは笑顔を変えずに答える。

「あら皆、まさか本気にしてるの?これは只の言い伝えよ」

一度言葉を切り、

「まあ、もしかしたらという可能性はいつでも残っているけれど────」

ぐるり、と再びクルーたちを見つめた。細い指先を遊ばせ、

「『絆の海』、もしそれが本当でも、心配しなくていいわ。この船の人たちはみんな強い絆を持ってるんでしょう?」

ロビンが試すように問いかける。
その言葉に、本日のおやつを食い散らかしていた船長が勢いよく顔を上げる。
きらきらと目を輝かせ、いつものようにまっすぐな黒い目で宣言した。

「おう、当ったり前――――」





ずがばきどごがしゃんっ!


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、轟音が船を揺るがした。
そして聞こえてくる罵声。


「テメェはいつもいつもいつもいつもいつも邪魔なトコに寝っ転がりやがってちょっと踏んだくらいでイチイチ文句付けんな!むしろ踏んでもらってアリガトウだろがよ変態マゾ剣豪!流血好き!」

「人に勝手に特殊な性癖押し付けんなキチガイコック!テメェは女王様か!?ここはお前の国か!?世界はテメェのために回ってんのか人の顔面思いっきり踏んどいてその態度はなんだ一言謝れってんだよ!」

「雑草は踏めば踏むほど強くなるっつーじゃねぇかこの俺様がテメェの夢のためにわざわざ貢献してやったと思え!敬え!大体大剣豪を目指す野郎がちっせぇ事でぐだぐだぐだぐだみっともねぇとは思わねぇのか『これはこれは邪魔なところにいて私めが悪うございましたサンジ様』ってささっと退くのが正しい在り方だろが!」

「んな卑屈な大剣豪がいるかァ!!一人ドリーム突っ走るのもいい加減にしろってんだテメェが夢見がちでもちっとも可愛かねぇんだよチンピラ暴力アホコック!目ぇ覚ませ!起きろ!テメェの脳みそに正常って単語を叩き込め!」

「いいじゃねぇかテメェんな時だけ固定観念に囚われるんじゃネェよ常識人のフリはテメェにゃ無理なんだよ腐れカビ頭!その路線で歴史に名を残せ!!あと夢見がちってのを訂正しろそりゃテメェの事だ!つーかテメェに目ぇ覚ませとか言われんのはものスゲェ屈辱だ!」

「残せるか!訂正もしねぇ!テメェ一遍死んで来い!治らねぇ馬鹿を治せ!死ぬ気で治せ!てか死んで治せ!!」

「馬鹿はテメェだ、俺が許すから死ね!一遍とは言わねぇ好きなだけ死ね!死ぬまで死ね!一生懸命気合入れて死ね!」


どかぼごがしゃばきどこっ!


「――――だろ!!」

船長はちっともめげなかった。
そしてまた興味を目の前の三十段重ねホットケーキに戻した。


羊のフィギュアヘッドは、近づいてくる不思議な色の海を見つめている。




+++ +++ +++




組んだ腕を枕に、ゾロはデッキで昼寝をしていた。
日課とも言える行動。何処のどんな海域に突入しようが、雨が降ろうが雪が降ろうが敵が降ろうが、ゾロはいつもマイペースだ。

大抵のことではこの緑髪の剣士は起きない。
なので勿論、つい先程まで絵に描いたように晴れ渡っていた空が、不自然なほど素早くミルク色の濃い霧に覆われても、ましてその霧がすっぽりとGM号を包み込もうとも、そんなことで彼の眠りを覚ますことなど出来ないのだ。

安らかで規則的な呼吸。
そんなゾロの鼻先を、まるで意思を持った触手のように霧が掠める。
いつもとは決定的に何か違う空気がその場に満ちて、しかし穏やかな呼吸は少しも狂わない。

無反応な剣士に戸惑うように、霧がうごめいた後。
男とも女ともつかぬ不思議な声が聞こえてきた。

『起きてください』

声の主の姿は見えない。この霧の向こう側から、近くとも遠くともつかぬところから、響いてくる。
ただ、そのような上品で控えめな呼びかけで、この剣豪の眠りを覚ますことは出来ず。
返事の代わりにいびきが寄越された。

『…………起きてください』

声は律儀に繰り返した。
いうまでもなく声の望む結果は現れなかった。一分待っても、二分待っても。

しかし声は諦めなかった。
三度目の呼びかけ。

『起きて───』
「とっとと起きろってんだよこのクソボケがァっ!!」

瞬間。
呼びかけをさえぎる形で、ゾロを起こす数少ない手段であるところの、凶悪無比な革靴のかかとが神速で到来した。
遠慮容赦の一欠片も無い殺気とともに。

「────っ!?」

どががんっ!!

条件反射で覚醒したゾロは、無意識に刀の鞘を引っつかみそれを頭上に掲げる。
いつもの倍くらい壮絶な衝突音が響いた。

それどころか、鞘を支えるゾロの手にかかった負荷もいつもの倍は強烈だった。
思わず、もう片方の手を支えに使ってしまうくらいに。

そのことに妙な屈辱を感じて、ゾロはしかめた顔を上げた。




+++ +++ +++




サンジは、自分のテリトリーであるところのキッチンで、夕食の仕込をしていた。
軽快な音を響かせていた包丁が、ふと止まる。

違和感を感じて、サンジは顔を上げた。

いつもなら絶え間なく響いてくるはずの、船長の笑い声、騒ぎ声、破壊音、ナミの怒鳴り声、呼び声、ウソップの実験の爆発音、ホラ話、ゾロのいびき、チョッパーの叫び声、ロビンの靴音、その他もろもろの話し声、が───まったく聞こえてこないのだ。
みなが寝静まる深夜でも、GM号はこれほどの静寂には包まれない。

嫌な予感にサンジは顔をしかめ(彼は自分の勘というものをそれなりに信頼していた、碌な事にはならない時ほどよく当たる)、包丁から手を放して身を翻した。
本当は今、仕込みを中断してキッチンの扉なんぞ開けたくは無い、そんなことはするなと、本能がそれを警告している。
だがまあ、この向こう側にナミとロビンとついでにウソップとチョッパーがいる限り、その警告に従う気にはなれない。

木製の扉には丸窓がついていて、外が見えるようになっているが役には立たないようだ。
ガラスの向こう側はミルク色に塗りつぶされ、それが濃い霧であると、それだけの判断にも数秒を要した。

サンジは軽く息を吸い、ノブに手をかけると軽くひねり、そのまま突き出した。
何の障害も無く開け放たれた戸をくぐり、一歩外に踏み出す。

そして、彼の考えうる中でも最悪ベストテンには入るであろう展開に直面した。




+++ +++ +++




ああ、頭痛がする。それもかなり重度の。

俺は何も見なかった。
サンジはくるりときびすを返すと、キッチンに戻ろうとした。

「待て」

その背に低い声がかかる。
只の空気の振動だけだったならサンジの足は止まらなかっただろうが、ひたりと首筋に当てられた白刃がそれを可能にした。
サンジは溜息を吐いた。
激しく面倒な事態だった。はっきり言って、関わり合いになりたくない。

それでもサンジは振り向いて、いつもの倍に増えた厄介事に視線を据えた。
まったく、この男は碌な事をしないし、碌な事にならない。きっと碌なものにもなれないだろう。

「テメェ…………いくら単細胞生物だからって分裂するとはいい度胸だな。手間二倍じゃねぇかコラ」
「人間が分裂できるか、アホ」

呆れたような返事が返ってきて、殺してやろうかと思う。
サンジに刀を突きつけていたゾロは、それを引いて鞘に仕舞った。返事をした方のゾロが、歩いてきてその隣に立つ。

無駄だと思ったが一応問いかけてみた。

「テメェ何勝手に増えてんだ」
「知らん」「知るか」

思ったとおりの答えがステレオで返ってきて、頭痛が増す。

『私が説明します』

怒鳴りつけようと口を開いたサンジに、まるで救いのように霧の向こうから声が響いてきた。
男とも女とも、若いとも幼いとも老いているともつかぬ声。

『ここは絆の海』

サンジも、いい加減グランドラインの不思議現象には慣れていたので素直に耳を傾けた。
霧の向こうからの、不思議な声。

『この海を通る者は試練に合格しなければなりません』
「試練?」
『絆の試練です』

うげ、とサンジが嫌そうに呻いた。

よりによって絆。
何故、体力とか知力の試練にしないのか。
それより何故、絆を試される相手を選ぶ権利がないのだ?

『見抜いてください、真実を』

声は、穏やかで優しい。

『貴方が認める仲間が、貴方の仲間でしょう?』
「仲間………」
『貴方達に本物の絆があるなら、きっとわかる筈』
「なんだ、ンな事かよ」

サンジは、ほっ、と安堵の溜息を吐く。
もっと違うことを要求されたらどうしようかと思っていた。

その様子に、心なしか笑いを含んで声が続ける。

『貴方が選んだ方を返してあげましょう。選ばれなかった方は───』

要らないんでしょう?
消しますよ。

『さあ、本物はどちらですか?』

仲間なら。
絆があるなら。

『わかるでしょう?』




+++ +++ +++




『────というわけです』

声は辛抱強くゾロに説明を繰り返した。
目を閉じそうになると降って来る二足の革靴も、ゾロの理解に貢献しているが。

『わかりましたか?』
「…………………」

ゾロは目をぱちぱちさせた。
激しく眠い。

「わ・かっ・た・よ・な?わかんねぇとかほざいたらその無駄な目ん玉くりぬくぞ?このビューティープリンスが猿真似なんざされてんのはムカつくんだよ!」

ぐりぐりとゾロの右の肩を踏んでくるサンジ。

「とっとと選べ!テメェと違って俺ァ忙しいんだ!さっさと夕飯仕込まなきゃなんねぇんだからよ、こんな茶番は早く終わらせろってんだ」

ごりごりとゾロの左の肩を踏んでくるサンジ。

「まさかテメェ、迷ってるなんて言わねぇよなァ!?見りゃわかんじゃねぇか!そこまでアホかテメェは!?」
「あァん!?この馬鹿マリモ、俺と偽者の区別さえつかねぇのか!?役立たずの大陸記録でも残す気かテメェ!」
「…………………」

ゾロは自分の肩から邪魔な足を二つとも叩き落した。
がしがしと頭を掻く。
それから、目の前に立つ二人の不遜な男を見上げた。

『さあ、選んでください』

流石に焦れたように、声が急かしてくる。
ようやく口を開いたゾロの第一声はこれだった。




「面倒臭ぇ」




大きな欠伸をひとつする。
並んだ金色の頭をつまらなそうに一瞥し、

「別にどうでも俺ァ構わねぇから、二人ともいりゃあイイだろ」

そしたら俺のまわりもちったァ静かになるし。
ゾロはぶつぶつと呟いた。

「コックが二人いたらそいつら同士で衝突するに決まってる、なんせナミは一人しかいねぇし」

どうなるかっつったらまあ、普通に考えて殺し合いだろうな。

で、その間俺は自由に寝れるってワケだ。いいじゃねぇか。
ナミは災難だろうが、諦めて貰おう。

ゾロはこきこきと首を鳴らした。

「一件落着。寝かせろ」

お前ら、揃って五月蝿過ぎる。

くあ、と伸びをして。
ゾロはそう言うとまた瞼を閉じた。


ぱりん、と音がした。




+++ +++ +++




サンジは即答した。それはもう、一秒もかけずに。

「わかんねぇ」

まったく、この野郎と今から絆を深めろとか言われたら俺ァどうしようかと思ったぜ。良かった良かった。
サンジはそう言うと、胸ポケットから煙草を取り出した。

「全然わかんねぇ。てか、マリモ二つ並べられて、どっちが本物だかわかる程、心の繋がりとか不思議な力とか友情とかネェから。そりゃもう全然ネェ、アリの目ん玉程もネェもん」
「…………蟻に目ん玉あんのか?」

右側のゾロが呟いた。
左側は、眉を顰めて不機嫌な顔をしている。

「だからネェって言ってんだ」

け、とサンジは悪態をついた。
二人のゾロが口を開く前に、びしりと指差して告げる。

「黙れ。『俺のことがわからねぇのか?』とかキショい事言い出したら本物だろうが構わず殺すぞ」
「……………」
『……………』
「そりゃいくらなんでも寒スギだろ」

言葉どおりに青い顔をして肩を擦って見せる。
凶悪な顔つきでの宣言を終えた後、サンジは、はたと気付いたように顔を上げた。
リンゴが落ちるのを見たニュートンは、きっとこんな表情だっただろう。

ぽむ、と手を叩いて頷く。

「…………そういや両方殺した方が俺的には万々歳じゃネェのか?」

アメリカ大陸を発見したコロンブスより嬉しそうに、サンジはその答えに辿り着いた。
火をつけた煙草をくわえ、煙を吸い込み。

ぷかり、と満足そうに吐き出す。




「よっしゃ結論。どっちも要らねぇ」




大体、俺ァクソ剣士の保護者じゃねぇしな。
引き取り義務とか全然ねぇわ。

「Bye」

この船の緑はナミさんのみかんだけで充分だ。
そう言った途端、どこかで。


ぱりん、と音がした。




+++ +++ +++










「「試すのか、上等だ」」



唇を吊り上げて。
眼差しを尖らせて。

鼻先でせせら笑ってやろう。


絆だと?
なんて面白ェ冗談、腹が痛ェよ。

大体、なんか勘違いしてねぇか?




「「俺に選んでもらわなきゃあいけねぇ様なテメェなら、
そんなんくたばった方が余程ましだろう。」」













+++ +++ +++





瞬間。

ふわり、と。
まるで布を広げたように、青い空が広がり。

「「…………………」」

ゾロとサンジは目をぱちくりさせた。

先ほどまで周囲を取り巻いて自身を閉じ込めていたはずの、霧。
それがまさに一瞬で、魔法のように消えていた。

思わず顔を上げたゾロと。
反射的に甲板を見下ろしたサンジの。

目が、合う。


『どんなに突き放しても、相手は変わらずそこにいると信じているのですね』
『どんなに辛い状況でも、相手は這ってでも肩を並べに来ると思えるのですね』


今度は、はっきりとわかる、ずっと遠くから。
あの声が聞こえてきた。


『手を貸す甘さではなく、背中を向ける激励を』


「あ?」


『見極めました』
『そこまで互いを信頼出来る』
『とても強い絆。素敵ですね』


「え?」


『どうぞ、お通りください』
『いつまでもその絆を、失くさないで』


「…………………」


そのまま、しん、となる空間。



二人はまったく同時に、海溝より深い溜息を吐いた。
心の底から嫌そうに、こめかみに手を当てて呟く。





「「……………スゲェ好意的解釈」」














Strawberry Brut 
マラスキーノ・リキュール一匙に白ワインを注ぎ、生の苺を浮かべたカクテル。
フルーティーなカクテルで中辛口に仕上げられている。ブリュットは“甘くない”というフランス語。
ワインやシャンパンの辛口を示す言葉でもある。



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