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剣の道。それ一筋に努力と鍛錬を重ね、脇目もふらずに突き進む。それがゾロの人生の物語である。 切れる刀。たくましい腕。動じない精神。太い神経。そういったものこそが重要で、遊びや恋にうつつを抜かしている暇はない──ゾロはそんな日々に疑問を覚えたことはなかったのだが。 鍛えすぎてちょっとおかしくなったんじゃないか? 最近、自分でもそう思ってしまうのである。 GOD MOTHER ことの始まりは、夢の中──いや、夢といっていいものかは不明だが、とにかく睡眠中のことである。 ゾロは自他ともに認める寝太郎であるので、目を閉じればほとんどその瞬間に眠りに落ちることができる。そして、寝ているときにみた夢は起きれば忘れている。 しかし、あるときから、寝ているときにぶつぶつと呟くような声が聞こえるようになった。あるときはしわがれた声、またあるときは艶やかな声のように聞こえる不思議な声で、何かを訴えるように響く。 最近はさらに進んで、起きているときにも声が聞こえるようになってきた。後頭部のほうから何か小さな声が聞こえてくるような気がし、振り向くのだが当然そこには誰もいない。 そもそもゾロは物の呼吸が分かる男だ、振り向くまでもなくそこには何もないことが分かっている──いよいよ心霊現象か、頭がおかしくなったか、と、その絶望的な2択を迫られている。 ちなみにチョッパーには相談していない。診察結果が怖いからではない。決して。 そしてとうとう、この瞬間が来た。 「信じられぬ。まったく、信じられぬ……! もはや耐えられぬ!」 ゾロの夢の中で、声が明瞭に聞こえるようになったのである。 しかも、姿つきで。 「どうにかして、わからせる方法はないもんかねぇ。大事なものは何かって」 ゾロは必死に気配を殺し、無になった。 必死な時点で無にはなり切れていないし、おそらくこれはゾロの信念に反する行動なのだが、夢であるために数に数えないこととする。ゾロも20歳を超え、多少はこすっからくなっている。 (無……無……無……無……南無……南無……) 大体念仏が入ってきてしまうあたりがゾロの無意識の認識の表れであった。たが、断じてビビってはいないんである。多少動揺しているだけである。 問題は、夢の中ではこれ以上目を閉じられないというところだった。ゾロの肉体はサニー号の甲板で昼寝をしているはずで、瞼も当然閉じている。 (誰かおれを起こしてくれ) 生まれて初めての願いを抱きつつ、ゾロは声の発信源を確認した。 暗闇の中にぼうと浮かんでいるのは、3人の女である。 ただ、女、とひとくくりにするには、顔つき、年齢、体形があまりに違いすぎた。 真ん中に立っている老女は、齢100年は経ているかという風情だ。目も口も、鼻さえも皺の間に覗いているのみ。着ている着物もくたびれてボロボロ、もはや女性というよりは妖怪のような存在である。 左にいるのは打って変わって妙齢の美女。古風だが派手な柄の赤い着物に、長い黒髪は二輪に結い上げ、花柳界の出であることが一目で分かる。 左にいるのは、おばちゃん。 (────) 人間、あまりに驚きすぎると、うっかり声も出てしまうというものだ。しかも、そのまんまの。 「お、お祖母さまッ……!?」 3人の女の顔が、ぐりん、と一斉にゾロのほうを向く。 確実にホラーである。気を失えない己のずぶとさを、初めてゾロは呪った。 「ゾっちゃん! ああ、ゾっちゃん!」 「────」 「やっと婆ちゃんに気付いたのかい、いつか聞こえると信じてたよ……!」 おばちゃん、としか言いようのないその平凡な中年女性(パーマ、エプロン、リンゴ柄のトレーナー)は、ぱああっ、と顔面を全部笑顔にしてゾロに語り掛けてきた。近づけば抱きしめられるだろうことが確信できた。そしておそらく、エプロンのポケットには饅頭が用意されている。 享年57歳、ゾロが子どものころに死別した祖母である。 祖母のふるまいに、美女が「信じられない」という顔をして眉をひそめた。 「ゾっちゃん……?」 反論は思いつかない。ゾロはこれでなかなか、女の視線など便所のハエと同じように扱ってきたような男なのだが、尻の据わりが悪い気分を久々に味わっている。 「やはり、お主が甘やかした結果がこれか。ええ、忌々しや! 孫の躾をおろそかにしよって!」 「うるさい鬼婆、孫が可愛くて何が悪い!」 ゾロの祖母と美女が言い争いを始め、ゾロの混乱は極まった。 (何なんだこりゃあ……!) ──2人が落ち着いた後、語った話はこうである。 真ん中の老女は、ロロノア家初代当主の妻、セン。 右側の美女は、ロロノア家中興の祖の妻、ミツ。 左側のおばちゃんは、ゾロの祖母。 3人そろって、ゾロの守護霊。 「………………」 ゾロは、男は物事をあるがままに受け入れる大きな器を持つべきという風潮に特に異論はないほうだ。欲を言えば、守護霊などというものがつくならせめてこんな井戸端会議のようなまとめ売りはしないでほしいが、問題はそこではない。 彼女らの力の使い方についてである。 どうやら彼女たちは、今まで延々と、あることをゾロに要求していたらしいのである。それが高じて、声が聞こえるようになり、果てにはこうやって夢の中にまでしゃしゃり出てきた。 「一族にたまには阿呆が出るのは致し方ない。己を痛めつけるなとも言わぬ。強敵に向かっていくのも止めぬ……だが、その前に果たすべき務めがあろう」 「そうよ、ゾっちゃん。それだけはこの鬼婆の言うとおりよ」 「跡継ぎをつくれ」 「そうよ、ゾっちゃん。生き物として、それが一番大事よ」 彼女らの素性を知った時点で、この要求は予想していた。 確かにゾロは一人っ子。父も兄弟はいない。ゾロが誰かに斬られて死んだ場合、ロロノア家はお家断絶である。 ゾロとしては、そんなモン知るか、と言いたいのだが、ロロノア一族を繋いできた存在を目の前にしてはどうも口に出し辛い。圧がひどいのだ、圧が。 なぜだかゾロはいつの間にか正座していた。本当になぜなのだ。とてもクルーには見せられない姿だ。 「おれは……」 「ゾっちゃん、ご先祖様の前よ」 「……私は」 ゾロは言い直し、毅然と前を向いた。 先祖が「躾が……」とか祖母が「オムツのころは……」とか言い出さないような立派な対応で、世継ぎ問題をうやむやにしなければならないのだ。難題すぎる。 「私は、大剣豪になります。それは……血と恨みに塗れた道になる。私にはその覚悟はありますが」 ゾロは精一杯真剣な顔を作った。 「……この道に連れ添う妻がいるのなら、むごいことと思います」 しん、と沈黙が落ちた。 ミツは黙って色っぽい唇を引き締めており、祖母はエプロンの端を握ってうつむいている。 ゾロの守護霊だというなら、ゾロが今までどれほどの人を斬ったかも見てきただろう。 血縁ならばそれでもゾロを愛せるかもしれないが、ただの身びいきである。 ──それまで一言もしゃべらなかった初代当主の妻が、そこで初めて口を開いた。 「血の繋がりなどは……守らんでもよい……元から諦めておる」 「初代様!?」 「そんなッ……」 ほかの2人は何か言いかけたが、老女の眼光に口をつぐんだ。 妖怪じみた迫力である。 「こやつは……女が添って、幸せになれる男ではないよ」 反論する要素はない。ミツも祖母も、自分が女性であるからこそ分かるだろう──ゾロは、芯から結婚に向いていないのだ。ゾロを愛する者は、一方通行を、献身を強いられる。ゾロが愛してくれと頼んだわけではないのだから。 大婆様が理解のある方で良かった。そう、ゾロが内心でほっと一息吐こうとしたときだった。 続く一言が、ゾロの頭に衝撃を与え脳みそを外に放り出した。 「そのぶん……今の“嫁っこ”を……大事にせいよ……」 は? 「……まあ、ゾっちゃんが最低限の人間らしい暮らしができてるのも、あの子のおかげだからねえ。婆ちゃんがお礼を言ってたって、伝えておいてね」 「──確かに、浮気性なところ以外は及第点だな。お主に振り切られない人間がそうそう見つかるはずもなし、子は養子でも──」 ゾロは「一族の母井戸端会議」にて進んでいく話のなりゆきの理解を拒否した。頭が冷凍バナナになっており、言語の処理が追い付かない。 は? ウソップはその日、初めて目にする光景に衝撃を受けた。 慌ててキッチンに飛び込み、そこで優雅に朝の紅茶をたしなんでいるナミに異常を報告する。 「ななななななナミ! ぞぞぞぞぞぞぞ!!! がッ!?」 「言いたいことは分かるわ。私も目を疑ったから」 ことん、とウソップの分のコーヒーがテーブルの上に置かれた。 ひき立ての豆のかぐわしい香り──この男は飲み物の類も当然のように守備範囲であり、一流のものを提供してくる。 「クソマリモ野郎だろ? 自分のことは自分でするんだってよ──世話を焼くなと言われたな」 ゾロが朝に一人で起き、自主的に洗濯をした上に腹巻まで繕っている(少なくとも、そうしようと努力している)。 天変地異にも等しいこの光景は、例えるならルフィの腹が減らなくなるようなものだ。キッチンの2人は、空恐ろしさに大体現実逃避しており、ウソップも大人しくその仲間に加わることにした。下手に掘っても怖い。絶対にろくなことにならない。 「まあ、マリモの手入れなんざしてたつもりはねェが、手間が減るなら助かるぜ。キッチンに触ったら蹴りオロすけどな」 心の中に思い浮かべる一言は、みな一緒だった。 (鍛えすぎておかしくなったんでしょうね……) (鍛えすぎておかしくなったんだろうな……) (鍛えすぎておかしくなったんだろうぜ……) ゾロが必死の形相で包丁を手にしようとし、サンジと死闘を繰り広げるのはこのすぐ後のことである。 God mother ゴッドマザー 氷を入れたロックグラスにウォッカとアマレットを注ぎ、軽くかき混ぜただけのカクテル。 アマレットの優しい甘みがあり、口当たりがまろやかなので、飲む人を選ばない。カクテル言葉は.「無償の愛」、「他人の考えを受け入れられる優美な人」。