ロロノア・ゾロは、人から心底「殺したい」と思われることなんてへいちゃらである。
人を斬っては寝、斬っては寝している人生だ。金目的を含めたら、ゾロを殺したいと思っているやつなんて、世界にざっと四桁か五桁くらいはいるだろう。

「おいクソ野郎、呼吸してんじゃねェ死ね」

同じ船に乗り合わせたクルーにも1人いるくらいなので、全く珍しくはないわけである。
サンジは、炭の入った袋でも転がすように足でゾロを通路の脇に退けると(蹴ったわけではないので機嫌はいいらしい)、すたすたと通り過ぎていった。ゾロも面倒くさい気分だったので、目を閉じたまま不問にした。

いちいち馬鹿の相手をしていられるほど、ゾロの人生は長くない。










BLOODY BULL













言うとおそらく驚かれるし、驚かれるのも癪なので秘密にしているが、ゾロにも一応、罪悪感というものがある。人を無駄に斬ってしまったとき、こそばゆくちくちく痛む部分がそれであろう。

無駄というのは、剣士以外の人間を斬ることである。くだらない賞金稼ぎや、海兵や、はたまたご同業の海賊や──ゾロが相手をしなければいけない人間は、なぜだか酷く多い。手加減できるときはしているが、ゾロが扱うのは、人殺し用の武器である。おそらく、殺そうと思っていなくても、死んでしまった者は多いだろう。要、精進。

「────」

人の屍の山の前で座り込むゾロの心中は、誰にも信じてはもらえないかもしれないが、かなりの痛々しさである。まだ幼さを残す顔が、血の気も失せて、聖母子像などを握り締めているのを見た日には、また嵐である。


誰が見てもわかる。ゾロが今までに、誰かに殺されてやっていれば、こいつらは死ななくて良かったのだ。そして、これからも、死人は増えなくて済むのだ。
さて、ロロノア・ゾロには、そこまでして生きている価値はあるだろうか?
ナミが、人一人生まれてくるには、そして育つには、どれだけの犠牲と愛と費用が必要なのかを無理やりゾロに教育してからは、どうにもゾロの罪悪感も育ってしまったようだ。
さて、ロロノア・ゾロを、そこまでして愛する者はいるだろうか?

否だ。

だが、もちろんのことロロノア・ゾロはそれでもしぶとく三十近くにまでなった。
だって、ゾロが用意しなくても毎年誕生日は来るのだ。
そう考えると、なんだか、ゾロが生きているのは全てがゾロのせいばかりではない気もしてくる。それに、生きる目的もある。野望と幼馴染の死がそれだ。ゾロの名を、大剣豪として世界中にとどろかせるまで、死んでいる暇はなかった。

ロロノア・ゾロの罪悪感も、血に塗れた剣も、ゾロ一人の責任ではない。ゾロがこうなったのは、剣を教えた師のせいもあるし、幼馴染のせいもある。悪いがくいな、お前も地獄に落ちてくれ。

ゾロは立ち上がると、屍の山をまたぎ越え、進み始めた。ゾロの足は随分と頑丈なので、砂糖一樽分の甘い罪悪感など、体ごと軽く運んでしまえる。心臓もタフで、激しく脈打っても破裂しない。
ゾロは自分の道に耐えられる強さを運命から授かり、まっすぐ進んでいくのである。

(どうして、こう、俺ぁ真面目なんだろうか)

ゾロは一人で歩いていたし、その言葉を口に出さなかったので、残念ながら誰も笑わなかった。ゾロは真剣だった──ゾロがもっと不真面目な男なら、こんなに律儀に人斬りなどしていないだろう。途中で野望を諦め、自然に女に惚れ、適当に悩んだり喜んだりしながら人生を謳歌していたはずだ。
何故、真面目なやつより不真面目なやつのほうが幸せになれてしまうのかはしらないが、幸福というのはつまりはそうやって上手く妥協できるやつに転がり込むのだろう。水の流れと同じだ、腰や志が低いほうに寄っていく。ゾロが空島並みに頭を高くしている間に、東の海では猿が繁殖するわけだ。

(なんで……強ぇ方が、損なんだろうか)

ぼと、とゾロの足元に何かが落っこちた。
ゾロの足は随分と頑丈だが、内臓はそこまでではない。左手は腸を腹に押し戻しているから、拾うなら右手なのだが、しゃがみこむとまたいろいろと落っこちる気がする。
どうして人間の臓器がこう多いのか、何のために必要なのかはチョッパーではないゾロにはわからなかった。いくつか落としても、なんとか動けている。であるからには、動き続けなければ。

ぼとぼと、ぼとぼと。
落っことしても落っことしても、ゾロは歩き続ける。

そろそろ船に着いてもいいんだが、とゾロは思った。何故なら、流石のゾロも、治療してもらわなければ死んでしまいそうだからだ。多分死んだほうが楽なのだろうけれど、真面目なのでそういうわけにもいかなかった。
うぬぼれではなく、ゾロがもうちょっと弱ければ、とっくに「殺してくれ」と言っていたに違いない。しかしゾロは、ゾンビになってもそんなことは言わない。

夜の風が、木の葉を揺らし、ゾロの頬も冷やした。滴り落ちる血から立ち上っていたはずの湯気が、もう見えない。それでなくても暗くなっていた視界はもうほとんど役には立っていなかったが、それでもゾロは、「前」と信じる方向に一直線に歩いていた。

いいのだ。まっすぐ進んでいけば、いつかは楽になれる。今は辛くても。
視界の端に、黄色だか、金色だか、とにかく黒くはないものが見えた。


「ゾロ」
















気が緩んだわけではない。そこが、ゾロの物理的な限界だったのだろう。
七歩前に進んだゾロの頭ががっくりと前に垂れた。激震のような痛みがあったはずだが、意識ははっきりとせず、ただ、突いた膝から染みる濡れた土の冷たさを屈辱に思う。

「──げっ」

声をかけようとしたが、口から出たのは音の波ではなく、なんとなく汚らしい固体だった。
餌付くゾロの傍に、ざくりざくりと足音を立ててサンジが近寄ってくる。いつものようにボケだ間抜けだといわないから、思ったよりもずっと、ゾロの様子は酷いのかもしれない。
サンジは先ほどから、ずっと黙っている。

「……、……」

ふ、と、ゾロは、近づいてくる人影から、慣れたあの気配を感じた。
だが──ロロノア・ゾロは、人から心底「殺したい」と思われることなんてへいちゃらである。だから、傷つくなんてこともない。

ゾロだって、知っているのだ。
たとえば、ずっと昔から、サンジに嫌われていること。
クルーの中で、ケンカらしいケンカをしているとしたら要するにゾロとサンジである。サンジは、物事にはあまり動じないはずのゾロの神経を効果的にイラつかせる方法に驚くほど長けていたし、ゾロのほうも己でもどうやっているのかわからないのだが存在しているだけでサンジの機嫌を損ねる。
知ったようなやつは、それだけのことで、結論を出してしまうのだろう。けれど本当は、そんな風な単純なものではなかった。

指先が、氷のつららに変わったように冷たく、痛い。

──柄にもなく、ゾロは故郷の昔話を思い出していた。姥捨山の話だ。
役目を終えた老人が、子に背負われて山に捨てられにいく。口減らしのために、共同体の存続のために捨てられにいくのだ。ゾロは子供ながらに疑問に思って、その話をしてくれた老婆にこう言ったものだ。「捨てたくないなら、捨てなければいいのにな」。
老婆はちょっと考えてから、ゆっくり、ぽっつり、返した──あの言葉は何だったか。


『早よ、わしを山に連れて行かんか』












ゾロだって、知っているのだ。
望まれないで、生きていくのは、幸福ではないということ。ゾロは、望まれない前進を止めないこと。傷つけ続けること。傷つき続けること。生きている限り、ゾロには苦痛しかないのだということ。
──ゾロが強くなければ、とっくに「殺してくれ」と言っていたと、知っているのだ。

たとえば、どんなに嫌いでも。
サンジが傷ついて、ゾロはいい気味だとは別に思わない。サンジが血を流していたら、どうにかして助けようとするだろう。サンジが苦しんでいたら、気分がすっとするなんてことも、別に、ない。
きっと辛いと思う。


お前は?






冷たい声が、針のようにゾロの耳を貫いた。

「……おいクソ野郎、呼吸してんじゃねェ死ね」

いつだってサンジが本気でそう言っていたことを、ゾロは知っているのだ。ゾロの苦痛を願う人間とは、違う理由で。




















ゆっくりとした振動。ゾロは半ば昏睡し、半ば覚醒しながら、ゆらりゆらりと揺られていた。船のようだ。そして、海のようだ。
ゾロを運ぶサンジの背中は冷え切って、微かに震えていた。寒いからだ。

──寒いからだ。もう、冬だ。ゾロも寒い。もう、冷え切って、痛みもなにも、感じないのだ。そういうことにしておいてほしい。誰だって、口に出せないことはあるだろう。
そして、やっていることと、感情が、正反対なことだって。

歩く道の上、ぽたり、ぽたり、と落ちるのは、ゾロの血と、そして、サンジの涙だ。どっちも同じようなものだ。死なない限り、勝手に出る。
口には出せないがゾロだって、早よ、と。
早よ、と。

──この黒い船の行く先が、姥捨山なら。






『いやじゃ、おっかさんを山に連れて行くぐらいなら、おらもいっしょに死ぬわ』



ああ。
お前も、地獄に落ちてくれ。
















Bloody Bull ブラッディ・ブル
ウォッカに、レモンジュースとトマトジュース、それに、ビーフブイヨンを追加したカクテル。
ウスターソースとタバスコも好みで入れる。
「血塗れの牡牛」という名前のとおり、「ブラッディ・メアリー」と「ブル・ショット」がベース。
レモンジュースが全体をひきしめ、ウオツカの味も抑えるユニークなカクテル。