大体が、ゾロは人の感情の機微というものを読むのが得意でない。

その理由のひとつは、ゾロが「そんなモンどうでもいい」と思っていることだ。
誰かに好かれればゾロは勝てるのか? 誰かに嫌われればゾロは負けるのか? そんな問題設定に「NO」と答えて悪びれないゾロは、さっくりと断罪すれば「ロマンを解さない体育会系ゴリラ」である。
当然のごとく、ゾロはそんな自分を肯定しているから、他人の気持ちをわかっていないだとか、デリカシーがないだとか、その類の糾弾もどこ吹く風である。それほどにゾロが気に食わないならば、ゾロに構わなければいいのだ。ゾロだって、相手のことは全く気にしていないのだから──このように、ロロノア・ゾロは、全く鼻持ちならないクソ野郎であった。未来永劫その予定だ。

しかし、そんなゾロも──流石にそんなゾロも!
血を垂れ流して地面に飛び散っている(少なくともそのような印象になっている)ゾロの傍に、ぺたんと尻餅をついて蹲っているサンジの膝が、小刻みに震えていることには気付いてしまった。

(何だよ)

何だよ、とゾロは不服げに思った。何でそんなに膝震わしてんだよ。何でそんな、真っ白になるまで拳握ってんだよ。まるで、誰かを看取るときみてえじゃねえか。

ゾロは心底迷ったが、所詮、あまり深く長く物を考えるようにはできていない人間だ。面倒になって、「DO」を選んだ。

「……オイ」
「…………んだよ」
「………………どうか、したのか」

次の沈黙は、地球が落っこちてしまうんではないかと思うほど深い裂け目だった。ゾロは思わずこのまま老衰するかもしれないと恐れたが、勿論、そんなことはなかった。
サンジが、膝の上に伏せていた顔を持ち上げた気配がした。

「……あー……」
「…………」
「……なんつったらいいのか……」

サンジは何かを誤魔化すように胸ポケットを探り、しかし、目的の物は見当たらなかったらしく小さく舌打ちした。きっと、煙草の箱は落としてしまったのだろう。

「……1+1の答は何だと思う?」
「1」
「2だと思うだろ? だけど、バナナと味噌を足しても2にはなんねェんだ。バナナとバナナを足したらバナナが2本だけど、バナナと味噌を足しても、バナナが1本と、味噌が1パックなんだ」
「1『升』」
「後、クソ不味いから混ぜないほうがいい」

ゾロが相槌を打たなかったので、その後の言葉は消えた。
ゾロがバナナと味噌の混合物の味を想像して辟易する時間をたっぷりと取って、バナナみたいに黄色い髪をした男は、もう一度口を開いた。

「……『魚の家』って話あるだろ?」
「知らねぇ」
「チッ、教養のねェ腹巻だな……海の中に、ある日、トランクが1個沈んで来るんだよ。中身は空っぽのただのトランクだ。でも、魚はトランクなんて知らねェから……最初は、得体の知れねェモンが来たってんで逃げるんだが」
「だろうな」
「好奇心の強え奴が、そのうち中に入って……こりゃあ、居心地がいいって気付いてよ。招くんだ。色んな種類の魚や、貝や、小さなカニや、そんなのが順番に入っていって……それでもいつまでもトランクがいっぱいにならないってのが不思議なんだが、その挿絵が滅茶苦茶キレイでよ。知ってるだろ? 俺のロッカーの扉の内側に貼ってあるヤツ」
「魚の家は海だろ」

ゾロが身も蓋もない言い方をしたので、カニのように横向きにしか歩けない男は少々むっとしたらしかった。
またしばらく、沈黙。

「……なあ、俺に妹が居たって知ってたか?」
「いいや」
「俺ァ、ガキの頃、毎日俺の妹のことを考えてた。腹ァ空かしてないか、泣いてねェか、そればっか心配してた……陸に下りるたび、小さな女の子を捜してキョロキョロしてた」
「女好きはそっから来たのか」
「ナチュラルボーンだ、馬鹿め。……俺の妹だから、多分金髪だ。俺の妹だから、多分、肌は白い。……きっと、俺がいなくなった後に生まれたから、俺の存在なんか知らない……だから見つからなくって当然だ。それでいい、俺ァ探したかったんだ……心配したかった」

オヤはどうでもいいんだけどよ、とサンジは呟いた。
──もしも、可愛いレディを1人でも世の中に生み出してくれてるんだったら、それで及第点だからよ。

ゾロはサンジの『妹』を想像してみたが、眉毛が巻いた上に足癖が悪くてお喋りな女なんて全然好みではなかったので、2秒で止めた。
寂しがりやな男はテレパシストではないらしく、ゾロのある意味失礼な評価には気付かないまま、まだ、次に吐く音を探している。

そこでゾロは、血まみれの指をずるっと動かし、黒くて長い足の、その先の靴にちょっと触った。
男は膝を震わせるのを止めた。

──ゾロが目を閉じていたから、気付かれていないと思っていたのかもしれない。ところがどっこい、ゾロは鉄の呼吸がわかる男だ。見えなくても、人間の挙動の把握なんて朝飯前だ。

「……んだよ」
「…………ああ」
「………………俺ァ、何も言ってねェだろ」

ゾロは人の感情の機微に疎い。
だから、はっきり言われないとわからないことのほうが多い。ああ、それだからサンジははっきりと言ったのだろう、バナナと味噌の数え方、家になったトランクの話、捨て子のこと。どうでもいい内容の、ゾロにとってはくだらない言葉達。

ゾロは人の感情の機微なんて知らないのだ。
──それでも白紙の手紙が何通も届いたら、ゾロだってその中身を少しは察せる。

「……ああ、言ってねぇな……」


















とうとう意識を失ったゾロの横で、サンジはずっと蹲っている。

血まみれの指先が靴の横っちょにくっついたままだったので、膝を震わせるわけにはいかない。どだい、ミドリのマリモンという生物は、ひとに優しくできるような構造にはなっていないのだ。優しくしようと思っても、それは大体正反対の効果を引き起こす。
この指は暖かい毛布ではなく強面の警備兵のようなもので、サンジはもう弱くなることも禁じられている。

血がじわじわとサンジの座る大地にも広がってきている。それなのに、立ち上がる気にはなれなかった。

「なんつったらいいのか……」

他人の感情の機微なんてものに興味もないゾロだから、はっきり言わなければ勝手に誤解するだろうとサンジは知っていた。
多分、伝える気がなかったのだ。きっと、ゾロの似合わない最大限の気遣いに対して、サンジは不誠実に対応した。

ゾロは夢にも思わなかっただろう。サンジが恐れたものが何か、わかりはしなかっただろう。──どうか、そうであってくれ。わかっていてなお許容するなどと、そんな悲しい哲学者にだけはならないでくれ。

倒れこむゾロを見て、一瞬でもサンジは楽になったのだ。


(お前がこのまま死んだなら、俺は重荷を下ろせると!)


心優しき料理人?
そんな風な物体はこの世のどこにも存在しないのだと、ゾロにだけは知られたくなかった。手も触れたくないような穢れた自己嫌悪を飲みくだしても、懺悔をして楽になることは選べない。
サンジは、卑賤で弱弱しいサンジ自身の首を絞め、胸に包丁を突き刺し、地の底深く生き埋めにすることに決めた。そうしなくては、このまま呼吸していくことさえできなかった。





 


Devil

 

 





Devil デビル
ブランデーとグリーン・ペパーミントをシェイクして作るカクテル。
赤唐辛子を振り掛けることもある。 レシピが非常に単純であるため、その味はバーテンダーの力量に左右される。